9条は宝 発言(13)一人一人が主体者に変わって「人間憲法」を守ろうやないか
「九条の会・医療者の会」のよびかけ人の一人、早川先生がパーソナリティをつとめるラジオ番組「ばんざい人間」の収録にお邪魔しました。朝六時一 五分~八時一〇分まで。スタジオには四十数人がイスを並べ…まるで教室。集まった人たちは、突然マイクを渡されても臆さず話します。この人たちは見学でな く「出演者」でした。番組には、憲法を語り合う「びっくり仰天講座」のコーナーもあります。戦後から街を奔走してきた、わらじ医者が語る憲法とは。
ラジオで憲法語る
集まった人たちが番組の主人公です。毎週土曜にやってきて、日びの悩みをにぎやかに出しあい、元気になってゆ く、ラジオ診療所です。この形になるまで一九年かかりました。「講座」は最初、人体のしくみを説明するものでした。体、心の動き、命について、とテーマを たぐって、イラク戦争の頃から、平和を語るものになりました。
「九条守れ」と発言すると「アホか、武器が無かったら心配や」といわれることもあります。テロの脅威や、拉 (ら)致(ち)が問題になっています。しかし一方で、日本は戦時中、中国や韓国の人たちを五人や一〇人どころでなく、根こそぎ拉致してきて、炭坑などで強 制労働させ、働けなくなったら捨てていたのです。こういう歴史を知る僕らが、証言しなければ。
「鳥には国境はない」という名言があります。地面に線をひいて殺し合うのは人間だけです。中東でも、どれだけの命が奪われているでしょう。そんな中、「命を守ろうやないか」と言うてるのが日本国憲法です。人間憲法と呼んでも良い。この心を守りたい。
驚くべき「主体者」の力
戦後、医師になった僕は「いつでも 誰でも どこでも医療を受けられるよう」「医療を住民の手に」と、働きまし た。戦争に負けた当時の日本は、今のイラクやアフガニスタンのようでした。その中で西陣の住民が五円、一〇円と出資して診療所をつくりました。貧乏な人た ちが、ご飯も抜いて必死で工面した一〇円は、額面以上の価値がありました。
こんな風に患者さんたちからエネルギーをもらった青年医師たちは、良質の医療をしよう、という情熱でいっぱいで した。その情熱に惹かれ、有名な小児科医が診療支援に来ました。この学者先生を、閉じこもっていた書斎から引っぱり出したんは、つまるところ、貧乏な西陣 のオバはんたちです。主体者になると、人は驚くべき力を出すんもんや、と実感しました。
患者さんに病院運営に参加してもらい、医療制度を知らせ、「なぜこんな制度にするのか」と、権力にももの言う主体者に変える、そこがみなさん民医連が他の医療機関と違うところやと思います。
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医療の話をしましたが、憲法でも考え方はいっしょ。「改悪反対」「憲法守れ」と、集まって言うだけ、誰かの話に うなずくだけでは足りない。国民一人一人が主体者になる、これが大事。「個の主張」をしよう。ただし、相手をよく知るという思想が同時にないと、ただの利 己主義ですな。「民主主義」が二一世紀のテーマです。
世界はきっと変わる
世界もいまは矛盾が激化していますが、必ず良くなります。私が小さいころ、川をはさんだ住民同士でいがみあって いました。今はそんなのない。人びとの垣根はどんどん無くなっています。発達した情報網で、どこかで起きていることを瞬時に知れる。地球は狭くなり、権力 は住民と住民のつながりを押さえつけられなくなっている。矛盾を乗り越えてゆくための気力と体力をつけたい。マグマみたいな地響きを、感じないとあきませ んな。
いろんな民族が共生し国境もない、そういう社会は間違いなく来ます。そのかわり、みんなが変わらんとあかんねんで。努力と論争と、自己変革とね。憲法の心を世界に、満ち潮みたいにうめていこう。
早川 一光さん (医師)
1924年、愛知県生まれ。総合人間研究所長。1950年、京都市・西陣に住民出資の白峰診療所(現在の堀川病院)を創設。2002年から「わらじ医者 よろず診療所」を開き、聴診器ひとつで「80だからできる医療」を行う。著書多数、『わらじ医者京日記』は、NHK連続テレビ小説の原作にもなった。
(民医連新聞 第1378号 2006年4月17日)